境内のご案内

創建以来1100年を超える歴史が積み重なる赤山禅院。境内には、多様な社殿やお堂があり、さまざまな信仰の対象になっています。

鳥居

「赤山大明神」の額は、後水尾天皇の行幸の際に賜った勅額です。(複製)

山門

開門は午前6時、閉門は午後5時です。(参拝は午前9時〜午後4時半)

参道

山門から社殿へ続く道です。秋にはあたかも紅葉のトンネルのようだといわれます。

拝殿

階段を上がると、正面に見える社殿です。屋根の上には、 鬼門除けの猿。御幣とかぐら鈴を持ち、皇城(京都御所)を守護しています。かつて夜な夜な悪さをしたため、逃げ出さないよう金網の中に入れられていると言われます。

本殿

本殿には本尊の赤山大明神が、皇城表鬼門の鎮守として まつられています。赤山大明神は、唐の赤山にあった泰山府君を、慈覚大師 円仁の遺命によって勧請したものです。

地蔵堂

赤山大明神は、地蔵菩薩の化身であるとされます。そこで赤山禅院には地蔵菩薩をまつるお堂があります。

弁財天

日本では古く奈良時代から仏として信仰され、また七福神の一神としても知られています。赤山の弁財天は「出世弁財天」として信仰されています。

福禄寿殿

都七福神の一神、福禄寿神をまつります。七福神の御朱印はこちらで受け付けています。(午前9時〜午後4時半終了)

不動堂

比叡山延暦寺と赤山禅院を結ぶ雲母坂(きららざか)に あった雲母寺(うんもじ)の本堂と本尊・不動明王が移されたものです。(雲母寺は、平安時代に、千日回峰行の創始者・相応和尚が開いた寺院でしたが、明治に入って廃寺となりました)不動明王像は、伝教大師最澄の作とも伝えられます。現在も不動堂では、伝統に則り、大阿闇梨が護摩供を行います。

相生社

縁結びの神として知られます。男女の縁だけではなく、出会う2つの事の間に相生(そうじょう)効果がもたらされ、良い結果が出ることを願う神がまつられています。安倍晴明の印として有名な五芒星は「相剋(木火土金水の5要素がお互いを打ち消し合ってしまう様)」を表していますが、それと対となる「相生(木火土金水の5要素がお互いを活かし、循環する様)」を表しています。

京都の表鬼門を護る

794 年に開かれた平安京は、もともと「青龍・白虎・朱雀・玄武」の「四神相応」で知られるように、方位を大切にして創られた都でした。

平安時代、陰陽道(おんみょうどう)が、朝廷をはじめ民衆にまで広く信仰されるようになりました。陰陽道では北と西は陰、東と南は陽とされます。その境目である東北と西南は、陰陽が反転するところで、鬼が出入りする忌むべき方角とされ、東北は表鬼門、西南は裏鬼門と呼ばれます。

赤山禅院は、皇城の東北に位置し、また本尊の赤山大明神(泰山府君)が陰陽道の祖神(おやがみ)とされることから、表鬼門を守護する方除けのお寺として信仰されるようになりました。『歴代皇記』には、弘長元年 (1261年) から、赤山権現祭が官祭として行われるようになったとあり、『太平記』には後醍醐天皇を守護する存在として赤山大明神の 記述があります。信仰は民間にも拡がり、赤山大明神のお札を持ち帰って家に貼ると鬼門除けになると言われるようになりました。

表鬼門を守護するしるしとして、赤山禅院の拝殿の屋根には、鬼門除けの猿が置かれています。猿(申)は、鬼門とは反対の方角である西南西を指すことから、邪気を払う力があるとされます。金網の中にいるのは、かって夜になると暴れだし、いたずらを繰り返したため閉じこめたのだと言われています。

ちなみに、京都御所の東北の角にある猿ヶ辻や、滋賀県大津市の日吉大社にも鬼門除けの猿が置かれていることが知られています。